大月に戦国時代の遠州の武将の痕跡あり

臨済宗普明院山梨県大月市
甲斐国郡内笹子に遠州犬居城主が住んでいた痕跡が残っている。
場所は勝頼公が越えようとした笹子峠の東側(大月市笹子地区)にある普明院、このお寺には遠州先方衆であった天野宮内右衛門尉景貫の子景信の位牌がある。天野親子は信玄公時に遠州で家康公と戦い活躍したが、不利になり甲斐で復帰を待っていた。天正10年3月織田・徳川軍の甲州攻めにより岩殿城で勝頼公を待っていたと思われる。このお寺は廃寺であったが景信により創建されたとの寺伝です。毘沙門堂もあり毘沙門天は景信と同じ身長につくられているとのご住職のお話しでした。
景信の法名は「永昌院殿隣岩徳公大居士」  大物武将は故郷に戻れず大月に土着したと思われる。
ご住職:突然の訪問にも関わらず色々お話しありがとうございました。
 
 
臨済宗普明院
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天野景信の位牌
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