東京多摩の「松姫研究会」から動画のお知らせです。
タイトル:【古甲州道を馬と歩く】
岩空山威徳寺より毎月発行され8月で第87号の「威徳寺だより」です。
当寺は岩殿山の東麓にあり、小山田越中守信有が創建したとの寺伝である。
今月は 〇「お盆のいわれについて」
〇「新編・小山田信茂論集1、2号」の紹介です。
1号論集:「武田家滅亡の一考察」松本憲和氏(勝頼公家臣のご子孫)
「忠臣小宮山内膳の遺書」武田和春氏(郡内小山田氏研究家)
「松姫様逃走経路・・・」小俣公司氏(顕彰会会長)等
2号論集:「信茂公への私の思い」松本憲和氏
「解けた最後の七日間のなぞ」小山田勢津子氏(信茂公末裔)
「元近の太刀と小山田氏」鈴木 彰氏(顕彰会監事)
尚、論集の購入ご希望の方は本ブログ8月1日掲載記事をご確認ください。
下記は論集(2)です。
山梨県大月市に残る千年以上前の「平将門」にまつわる遺跡があります。
この地は将門の二男常門が一族と逃れ隠れ住んだ所と言われています。将門が親皇と名乗っていたことから館があった所を内裏と呼ばれており、内裏屋号の家もあります。南側の山には「駒宮砦」跡があり、駒止嶺、空堀?などが残っております。常門一族は7年後に更に奥の長峰砦を構築し移り住んだとの伝承です。常門には7人の子どもがおり7家に分かれ現在も住まわれています。ご子孫宅には「桔梗絶やせ」、「前髪不剃」、「成田山新勝寺に参るな」などの言い伝えがあり、以前修学旅行で成田山へ寄った際にご子孫の生徒達はバスから降りなかったとお聞きしました。
砦跡の入り口と下方に内裏の地名が残っている。
砦に残る馬場跡
空堀?