8月11日は志賀城落城

■天文16年8月11日は志賀城落城(信州・佐久郡
武田軍は7月より攻撃開始、援軍の関東管領山内上杉軍を打ち破り、8月11日志賀城主笠原清繁を打ち取った。この戦いで小山田出羽守信有は援軍を撃退などに軍功をたてた。晴信からは感状と笠原清繁夫人(志賀夫人)を与えられ、都留郡・大月駒橋の館に住まわせた。志賀夫人は捕らわれの身で駒橋での暮らしはどうだったのか、悲しい運命を受け入れ余生を送り天正8年この地で亡くなった(享年52歳)。こういう扱いは戦国期に他でも行われており、過酷な戦いの実態を示すものです。

殿山の北東にある「宝林寺」に墓所があります。
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志賀夫人の五輪塔(信茂が建てたと思われる)
400年も経った墓石は風化が激しい
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